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日本橋、浜町、人形町の「まちの法律家」
2016-05-16

昭和50年の神宮球場に上がる花火見物の特等席

ニューオータニガーデンコートから紀尾井坂下の交差点に向かおうとすると、紀尾井町フォーラムを通り抜けることになる。40年前の私の記憶を辿るとそこには二代目尾上松禄邸歌のおばさん故松田トシさんの自宅とホールがあった

紀尾井坂下の交差点を右に折れて紀尾井町を通り抜けると、40年前に私が東京で勤務していたとき住んでいた宿舎があった場所に出る。しかし、現在はその宿舎も麹町へ移転しまた向かいにあった民家や隣の社員寮もなくなり高層ビルなど建っている。当時の面影は何もないが私には特に思い出深い場所だ

昔話になるが私が住んでいた県の宿舎では夏になると屋上に上りビールを飲みながら神宮球場に上がるホームランを祝う打ち上げ花火を眺めて歓声を上げたのが懐かしい。私たちの小さな屋上が、花火見物の特等席だった。

さらに進むと麹町から平河町へ抜ける通りに着くその通りに当時あったお店はほとんどなくなっておりかろうじて文藝春秋のビルの筋向いに紀尾井茶房が残るのみであった

そこからさらに平河町の中を隼町・半蔵門の方へ向かって行く平河町も随分と変わったものだと思って足を進めるすると突然、「ピーヒャラドンチキチン」と祭囃子が聞こえてきた何かと思って祭囃子の方へ行くと平河天満宮に着いた

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平河天満宮では春の例大祭ということでお祭の真っ最中非常にラッキーなことで境内の舞台では90歳ぐらいのおばあさん初め若い男の方子供の方などからなる囃子保存会の祭囃子が上演されていた

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神社のお社の方へ向かうと、振舞い酒をご馳走になった面白いのは何やら関西訛りで子供さんが話していたのでその子の母親に「関西からお見えですか?」と尋ねたら、4月に京都から転勤で東京に来たばかりというこの祭をどうして知ったか聞くとネットで調べたという。ほかにも東京に来て直ぐネットで調べて靖国神社山王日枝神社へも行ったという話だがネットの威力はすごいものだ

いずれにしろ私には平河天満宮の祭は初めてだったので偶然のこととはいえ幸運なことだと思った

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天満宮の直ぐ前のマンションには東京勤務時代に毎日の夕食でお世話になった食堂がありその店と天満宮がこんなに近かったとは驚きであった。当時美味しかったのは定番の鯛粕定食現在は代替わりして蕎麦屋となっているとのことだ。

平河天満宮から裏手に入った通りには「いさり火」という居酒屋があり当時ご主人さんやおかみさんと馴染みになったがもう一度再会できればと思う次第であるまた半蔵門の駅のすぐ前には今も「バン・ドゥーシュ」という銭湯があるようなので機会があったら入りたいと思っている

そのようなことを思いつつ隼町に出て半蔵門から水天宮前まで地下鉄に乗り、家路に着いた

(文/西川文明)

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