富士山の威容が見えた頃の東京を思い出す
[Photo]赤坂見附から弁慶橋に向かう
赤坂見附を出る頃には、辺りはすっかり真っ暗になっていた。
赤坂見附交差点は変則で、弁慶橋方向は少し狭くなっている。前回の東京オリンピックのときに交差点の立体化が行なわれ、当時は日本橋などと並んで「新しい東京」を象徴する最先端の場所の一つであった。私にとっても懐かしい場所で、テレビドラマ『特別機動捜査隊』のオープニングシーンで、パトカーが国会議事堂前を通って青山通りから溜池の方へカーブしてやって来るシーンを思い出す。(現在、CS「東映チャンネル」で再放送されている。)
赤坂見附から永田町に向って右手の坂を登って行くと、ちょうど平河町の角に、40年くらい前、私が東京配属時代に勤務していた都道府県会館がある。今では高層ビルになっているが、当時はそれほど高くはなかった。県の事務所は5階の西側にあり、景色を遮るビルもなく、堂々とした富士山の威容を毎日、眺めることができた。しかし、年々、前方に高いビルが建ち並ぶようになり、眺望もきかなくなった。
道路を挟んで向かいには赤坂プリンスホテルがあった。当時は、4階で日活の映画スターなどがイベントをやっていたものだ。道路に面してデラックスプールがあり、たまたま、大ファンのアイドルタレントの撮影に出会わせたことがあった。観客は、私と親友で同僚のM君の二人だけであったが、そのタレントさんは嬉しかったらしく、ニコっと私達に微笑んでくれた。今ならアイフォンで撮るところだが、残念なことである。
今回は永田町の方には行かず、弁慶橋から紀尾井町の方に向かった。驚いたのは、当時と違い、ニューオータニタワーから赤坂見附の方に向って、外国人の方が途切れることなく歩いていることだ。このままいくと、4年後の東京オリンピックの頃には、どんな状況になっているか想像がつかない。一方、赤坂プリンス跡地は建て替えが進み、近日中にオープンするとのこと。赤坂プリンスホテルの下にある「維新號」は、昔と変わらない場所にあった。
清水谷公園は馴染み深い場所だが、夜で暗いため、今回は入らなかった。40年前は、宿舎への近道なので、夜間も平気で通っていたものだが。
またまた驚いたのは、紀尾井坂、清水谷坂の両方向とも自動車の往来が激しく、タクシーがひっきりなしに弁慶橋の方へと向っていたことだ。40年も前のことだが、この紀尾井坂には、夜になると車でやってくるラーメン屋さんの屋台が止まっており、飲み会帰りにラーメンを食べたことを、長閑なことと懐かしんでいる。
突き当たりは広い空地となっており、特設会場で「旅するルイ・ヴィトン展」をやっていた。目にも鮮やかな黄色の車を目当てに、たくさんの人が訪れていた。
[Photo]赤坂見附交差点