昭和50年の神宮球場に上がる花火見物の特等席
ニューオータニガーデンコートから紀尾井坂下の交差点に向かおうとすると、紀尾井町フォーラムを通り抜けることになる。40年前の私の記憶を辿ると、そこには二代目尾上松禄邸、歌のおばさん故松田トシさんの自宅とホールがあった。
紀尾井坂下の交差点を右に折れて紀尾井町を通り抜けると、40年前に私が東京で勤務していたとき、住んでいた宿舎があった場所に出る。しかし、現在は、その宿舎も麹町へ移転し、また、向かいにあった民家や隣の社員寮もなくなり、高層ビルなど建っている。当時の面影は何もないが、私には、特に思い出深い場所だ。
昔話になるが、私が住んでいた県の宿舎では、夏になると屋上に上り、ビールを飲みながら、神宮球場に上がるホームランを祝う打ち上げ花火を眺めて歓声を上げたのが懐かしい。私たちの小さな屋上が、花火見物の特等席だった。
さらに進むと、麹町から平河町へ抜ける通りに着く。その通りに当時あったお店はほとんどなくなっており、かろうじて文藝春秋のビルの筋向いに紀尾井茶房が残るのみであった。
そこから、さらに平河町の中を隼町・半蔵門の方へ向かって行く。平河町も随分と変わったものだと思って足を進める。すると、突然、「ピーヒャラ、ドン、チキチン」と祭囃子が聞こえてきた。何かと思って祭囃子の方へ行くと平河天満宮に着いた。
平河天満宮では、春の例大祭ということで、お祭の真っ最中。非常にラッキーなことで、境内の舞台では、90歳ぐらいのおばあさん初め、若い男の方、子供の方などからなる囃子保存会の祭囃子が上演されていた。
神社のお社の方へ向かうと、振舞い酒をご馳走になった。面白いのは、何やら関西訛りで子供さんが話していたので、その子の母親に「関西からお見えですか?」と尋ねたら、4月に京都から転勤で東京に来たばかりという。この祭をどうして知ったか聞くとネットで調べたという。ほかにも東京に来て直ぐ、ネットで調べて、靖国神社、山王日枝神社へも行ったという話だが、ネットの威力はすごいものだ。
いずれにしろ、私には、平河天満宮の祭は初めてだったので、偶然のこととはいえ幸運なことだと思った。
天満宮の直ぐ前のマンションには、東京勤務時代に毎日の夕食でお世話になった食堂があり、その店と天満宮がこんなに近かったとは驚きであった。当時、美味しかったのは、定番の鯛粕定食。現在は、代替わりして蕎麦屋となっているとのことだ。
平河天満宮から裏手に入った通りには「いさり火」という居酒屋があり、当時、ご主人さんやおかみさんと馴染みになったが、もう一度再会できればと思う次第である。また、半蔵門の駅のすぐ前には、今も「バン・ドゥーシュ」という銭湯があるようなので、機会があったら、入りたいと思っている。
そのようなことを思いつつ、隼町に出て、半蔵門から水天宮前まで地下鉄に乗り、家路に着いた。
(文/西川文明)